司法書士試験の勉強で大切なこと

教室

 この投稿は、本試験後にアップすることを予定していましたが、都度加筆をしていた結果、非常な長文となってしまいました。よって、伝えたいことを、先に冒頭でまとめておきます。

 内容は、私の受験観というようなものです。試験において直接的に役に立つ内容ではないかもしれませんが、よろしければお読みください。

司法書士試験の勉強で大切なこと(まとめ)

1.「受験経験を通じて感じたこと」  

 当たり前だが、やるべきことをやって受験すれば合格するし、手抜きをしたりして自信がないまま受験すれば不合格となりやすい。高校受験や大学受験又は宅建などであれば、曖昧な知識であっても合格に至る場合もあるが、司法書士試験のような難関試験ほど、こうした傾向が顕著となる。

2.「受験に必要なこと」

 難関試験の受験においては、合格するためにどのような勉強を行うべきか、自分自身で判断することが重要。そして、問題点があればそれらを全て潰すことが必要。

3.「進学予備校の功罪」

 進学予備校と資格予備校とは、勉強の拠り所としての位置づけは異なる。資格予備校は、子供を対象とする進学予備校のように、手取り足取り教える講座ではないにも関わらず、予備校のカリキュラムをこなすだけで十分な勉強と判断される方が多い。

4.「司法書士試験における勉強」

 資格予備校は、勉強の中心に位置するものかもしれないが、あくまでも合格のための一助を担うものでしかなく、全てを依存すれば合格できるものではない。毎日講義を聞き、復習及び予習をするだけでは足りない。予備校の優れた講座又はテキストを勉強の中心におき、それらに依存するだけではなく、自分自身が判断した必要な勉強をすることで、相対的に勉強の効果も上がる。

 

 

受験経験を通じて感じたこと

 誰しも、人生において様々な形で受験を経験します。私も同じように、各種の試験を経験してきました。このうち、司法書士試験以外は、塾や予備校に行くことなく、独学での受験でした。

 独学が良いのか、塾・予備校に通うのが良いのかについては、正直なところ、年齢や性格にも左右される面があり、一概に結論づけることはできませんが、こうした独学での勉強やこれまでの経験をとおして、年齢を重ねた今だからこそ気づくこともあります。

 試験には様々な種類があります。中学受験や高校受験といった多感な思春期の10代に受験する試験と、ある程度分別も付くようになってから受験する大学受験以降の試験については、異なる側面もあるかと思いますが、これまで私が合格した試験における勉強には共通点があるような気がしています。

 私の資格受験履歴は、こちらのページとおりですが、それ以前も、もちろん高校受験や大学受験を経験しています。高校は、私立高校3校及び公立高校1校の4校受験し、うち私立2校が不合格でした。また、大学は私立3校受験し、うち1校が不合格でした。

 私立高校のうち不合格の2校は、東京の進学高でした。正直なところ、中学生の私は、相当いい加減でしたので、司法書士試験時のように必死に勉強したわけでもなく、既に受験前から、子供ながらに、「まぁ無理だろうな」と感じておりました。

 今の私であれば、無理だと感じれば、そもそも受験をしていませんが、当時の私は、受験した進学校に特段興味があったわけでもなく、むしろ、それらが不合格でも、地元の公立高校や滑り止めの私立高校があるなど軽く考えている面もあり、いわば相当な甘ちゃんだったと思います。

 こんな子供だった私も、さすがに少しは成長し、大学受験の頃には、多少なりともマシになっていき、勉強の手法についても、このブログで投稿した司法書士試験の勉強法に通じる部分が芽生えつつありました。

 当時の私大は文系であれば、国英社の3科目が基本でした。国英は暗記の側面だけでは、難しい部分もありますが、社会についてはまさに暗記科目となります。私は、世界史を選択したのですが、一般のテキストだけではなく、山川の世界史用語集(ちょっと調べてみましたが、今もあるみたいですね)を全て暗記し、試験に臨みました。合格後に大学の友人と、この用語集について話す機会があり、その際に全部暗記した旨を伝えると驚かれた記憶があります。私は予備校に行っていませんでしたので、他の受験生の勉強方法に疎く、その際初めて、普通はそこまでしないことを知りました。しかし、そこまで徹底した結果、受験した大学の世界史の試験については、3校とも比較的楽に回答することができた記憶があります。

 英語についても、駿台の基本英文700選及び英文法頻出問題演習(こちらも今もあるようですね)を全て暗記し、長文読解など暗記だけでは対応できない問題ももちろんありましたが、少なくとも文法問題については回答できない問題はなかったと思います。

 反面、国語ですが、個人的には、国語力というのは、読書量に比例する部分が大きいと思っています。本をたくさん読むということは、普段から知らず知らずのうちに文章に慣れることとなり、読解力が養われます。読書量はそこそこあったので、現代文などは特段苦労しなかった記憶がありますが、漢字、古文、漢文については、ちょっと手を抜いた勉強をしていた気がします。ヤマを張り、古文漢文分野でそこまで多くの問題は出ないだろうと勝手に判断していた部分もありました。その結果、どうなったかといえば、受験した3校のうち1校で漢文問題が多く出題され、ほとんど解けず、それが響いたのかやはり3校のうち1校が不合格となってしまいました。

 この時感じたのは、「やるべきことをやって受験すれば合格するし、手抜きをしたりして自信がないまま受験すれば不合格となる」という、至極当り前のことでした。文章にすると、当然のことに過ぎませんが、受験を通して、こうした考えや感覚を肌で感じることができたことは、将来における各種資格試験において随分プラスになったと感じています。

受験に必要なこと

 その後は、宅建、行政書士、司法書士試験において、本ブログに投稿したような勉強法により合格に至っていますが、この大学受験時の感覚がそこには大きく作用しています。

 「試験というのは何であれ、実は受験前にほぼその結果は決まっている」というのがこうした経験をとおして得た私の持論です。前項で自信がないまま受験しても不合格になると述べましたが、自信がないということは、その試験の合格のために必要なことを理解していないか、又は、理解していても、その必要なことを十分に実践していないために、自信の無さにつながるのです。

 以前、本ブログの「年内にやるべき勉強法」という投稿でも同じことを述べたように、合格するために必要なことを判断し、その上で、やるべき勉強を理解し、それを実践することが出来るかどうかが、どの試験においても、合否の分かれ目になると考えます。仮にそのやるべきことが面倒な作業であってもそれを避けるべきではなく、こうした傾向は、より難関の試験ほど大きくなると感じています。

司法書士試験のような難関試験で大切なこと

①合格のために、何が必要なのかにつき、自分で理解すること

②その上で、やるべき勉強を自分で判断し、たとえそれが面倒で気が遠くなる作業であってもそれを躊躇なく行うこと

 10代の頃は、そのような考えもないまま、与えられた試験に臨むことが普通かもしれません。本来であれば、その年代においても、何をすべきかを理解したうえで、そのために必要な勉強に取り掛かれるのであればそれに越したことはありませんが、それは年齢的になかなか難しいことかもしれません。

 中には天才的な頭脳を持ち元々の資質が高い方や、そうした合格に必要なことを理解する能力に若いうちから非常に長けている方もいるかもしれません。しかし、大多数の方においては、私もそうでしたが、そこまで試験を客観的にとらえることなどせずに、とりあえず、親や塾、又は学校で教えられる通りの勉強をするに留まり、それ以上を自分で考えて行うことは稀な気がします。だからこそ、依るべき受験用の各種塾・予備校が必要とされており、その塾・予備校のカリキュラムに従った勉強をすることが、効率のよい合格への近道だと一般に認識されているのでしょう。

 精神面や考え方が成熟していくにつれ、子供時代と異なり、各試験において、合格に必要な能力や自分の学力の位置づけなどもより明確に分かるようになります。ただ、この時点で考えを止めるのではなく、次の段階として、何をすれば合格できるかにつき自分で判断し、そのうえで勉強取り掛かることが、どのような種類の試験においても必要だと私は考えています。

 以前、こちらの記事で、行政書士試験においてあやうく足切りされそうになったと述べました。行政書士試験における政治経済分野の一般知識問題は、範囲が明確ではなく、何をどこまで勉強すればよいのかが全くもって不明であるため、私もこの分野に限っていえば、経由してきた勉強が適切か判断できませんでした。結果的には、合格することができましたが、中途半端な勉強を経由して受験するリスクをあらためて認識した試験となりました。

 司法書士試験は、学校受験や行政書士試験よりも高度で、かつ、範囲も膨大であり、また、3時間という午後試験では択一&記述を回答することが必要となることから、回答の迅速性、正確性、そして判断力も問われる試験です(参考「司法書士試験で求められる能力」)

 そのような試験において、自分にとってどのような勉強が必要なのかにつき理解することは簡単ではありません。当初は、そもそも、この試験を与えられた試験時間内で解くことができるのか、という段階からのスタートになりますから、その時点で合格に必要なことを明確に理解することは不可能です。

 まずは、基礎学力を養成していくこととなりますが、勉強を継続していくと、次第に試験の全体構造に関する理解も進んでいくことと思われます。そして、自身の学力が合格に足るべきものなのか否かの判断もつくようになるはずです。

 合格にまだ至らないと考えるのであれば、足りない学力を向上させるために必要なことを行うしかありません。それが、基礎学力であれば、全ての論点の理解力を高めていく必要があり、その後も、そうして得た知識を、私が取った方法なども一つの方法ですが、何らかの方法で明確に保つ必要も生じます。

 基礎学力がないのであれば、それは勉強している自分が判断できるはずです。理解力は問題がないが、試験当日に明確な記憶をもって臨める自信がないのであれば、そのことも同様に自分が一番よく分かっていることでしょう。また、午後試験の択一&記述を時間内に効率的に回答できないのであれば、それもまた判断できるはずです。

 必要なのは、こうした段階で、それらの問題点を全て潰すための方策を取ることです。それらを曖昧にして受験しても、結果はおそらくついてきません。司法書士試験では、中途半端に勉強し、自信のないまま受験しても、おそらく良い結果は得られません。その問題点を潰すための作業が、仮に膨大な時間を要するものであっても、それを避けて通ることはできません。

 

進学予備校の功罪

 日本社会は、戦後、受験競争社会となり、多数の進学予備校が生まれ、利用されてきました。上場会社等に入るためには、良い大学に入る必要があり、そのためには良い高校、中学で学ぶ必要があると考えられてきました。しかし、思春期等で精神的に不安定な年代に行った試験で、その後の方向性が決まってしまうという傾向は、あまりにも時代遅れな社会構造な気がしますし、家庭環境的に勉強に集中できない子供や生計的な理由から勉強できない子供もいるわけで、格差社会といわれている昨今、尚更そうした傾向はどうなのかと感じています。

 偏差値の低い高校から難関大学に入る方や、司法書士試験等の資格試験に合格される方もおり、必ずしも、それで全てが決まるわけではありませんが、一度つけられたレッテルを覆していくことは簡単ではありません。

 話がずれましたが、よい人生を送りたいというニーズに応える形で進学塾・予備校は現在も利用されています。進学予備校は、当然ですが、子供の勉強を手助けしてくれる場所です。前述のとおり、受験競争社会においては、進学予備校は、すでに当り前の存在となっています。中には私のように、こうした進学予備校に通わずに受験する人もいますが、大部分の方は予備校等に通い、大学等を受験していきます。まだ未熟な子供にとっては、自分で判断するよりも、誰かに指導してもらいながら勉強するほうが効率的に合格できる側面は確かにあるからです。

 

 子供の時は、合格に必要なことを客観的に捉えることは簡単ではなく、むしろ、大人が用意してくれた方法に沿って勉強する方が効率的かもしれません。しかし、子供から大人になるにつれ、自我も確立していきます。試験に対しても、経験等から各自の考える勉強を実践できるようになっていきます。

 したがって、本来であれば、子供時代の塾・予備校と大人になってからの資格予備校とでは、合格のための拠り所としての位置づけは異なるべきです。塾・予備校に依存して進める勉強と、自分の判断のもとで行う勉強とでは、その進め方も違うものになってしかるべきです。

 こうした子供時代からの進学塾・予備校の影響かもしれませんが、司法書士等の資格予備校講座を受講する方の中には、予備校の講座を受講し、そのカリキュラムに沿うことだけの勉強に留まる方も多いような気がします。もちろん、予備校のカリキュラムの沿った勉強は効果的です。私が、ここで述べたいのは、そのカリキュラムを漠然とこなすのではなく、そのカリキュラムの上に、自分の判断を加える必要があるということです。

 私は、LECの実践力パワーアップ講座を受講しました。そのレビューを投稿したブログでも同じことを述べましたが、私がこの講座を受講した目的は、良質なテキストを得るためです。私にとっては、良質な一冊で合格できるテキストであれば、LECでもTACでも伊藤塾又は辰巳予備校でもよかったのです。

2013年の投稿「LEC実践力PowerUp講座」追記部分の抜粋

追記
 LECの講義そのものについてではありませんが、ちょっと一点追記させてください。予備校の講義とは、当り前ですが、あくまでも合格のための講義であって、勉強するための講義ではありません。
 何が言いたいかというと、予備校の講義(ウェブ講義含)を受けると、その瞬間は勉強した気になりますが、重要なのはその理解した記憶を本試験で出せるかどうかです。講義を受けることにより「勉強した感」が残るため、自己満足に陥りがちですが、講義を受けることは本試験対策において必要不可欠なことではありません。要はテキストに記載の事項を完全に理解し記憶することが重要であって、あくまでも講義はその手助けをしてくれるだけです。極論を言ってしまうと、講義受けなくてもテキストのみで理解できるのであれば、講義を受ける必要はありません。
 講義はあくまでも記憶の開始における取り掛かりに過ぎず、講義を聴いて予習をし、次の講義のために復習をするだけでは記憶は完成せず、テキストの読込みが必要であると考えます。つまり、予備校は合格のために必要な勉強の一部分を担うに過ぎず、全体を担うものではありません。結局は講義以外において合格のための努力が必要になるということです。予備校の講義は、その努力の手助けをしてくれるものであり、いくら優れた講義やテキストであっても、ただ漠然と予備校のカリキュラムに沿っていれば合格するものではありません。これはLECに限らず、伊藤塾であろうがTACであろうが同様だと思います。

 LECを選んだことに、明確な理由があったわけではありません。ただ、もちろん、契約前に、内容サンプルは確認し、LECのテキストが優れたテキストであり、1冊で十分に合格できるテキストと自分なりに判断したことは事実です。他の予備校のテキスト内容は分かりませんが、おそらく各校のテキストはLECと同様に良質なものでしょう。それは、実際に両校の講座で合格している方が毎年いることからも推察できます。

 ある程度の成績で合格した方にとっては、どこの予備校を受講したというのは、ほとんど関係がないように思います。確かに、合格をサポートした講座であることは間違いありませんが、その講座により合格できたわけではなく、個々人の努力により合格できるのです。それは、ほとんどが予備校受講生であろうこの試験において、100人受けたら3~5名程度しか合格しないことからも明らかです。

 資格予備校自体も、進学予備校とは異なり、受講生のほとんどは子供ではなく成人した大人が対象ですから、進学予備校のように、手取り足取り勉強方法を助言することはしません。あくまでも、所定のカリキュラムに従って、試験範囲の知識を教授するのみであり、むしろそれが自然です。

 しかし、塾・進学予備校の影響にくわえて、日本社会自体が他者への依存傾向が強いこともあり、資格予備に対しても、進学予備校と同じ捉え方をしてしまい、そのカリキュラムだけをこなすことで十分だと判断してしまう方がいるように感じています。

司法書士試験における勉強

 資格予備校は、受験生に対し、合格のために必要なテキスト及び講義を提供します。資格備校から与えられた教材内容を全て理解し、かつ、記憶(参考:「全般的な勉強法」)すれば、合格の近道となることは間違いありませんが、各論点を理解するためには自分の努力が必要ですし、資格予備校は、理解した論点の記憶作業までは手助してくれません。

 また、記述式を解くために一番大切なこと、つまり、時間内に自分で考えて答えを導き出す能力、迅速に正確な判断を下す能力についても、自分で磨くしかありません(参考「記述試験の勉強法」)

 資格予備校のテキストは、どの予備校のテキストであっても、合格のために必要十分な教材です。また、そのカリキュラムや用意される答練等も、各予備校が試験を精査し、合格のために最も効果的な勉強ができる内容で構成されています。

 一方で、予備校は、勉強の中心に位置するものではありますが、あくまでも合格のための一助を担うものでしかなく、全てを依存すれば合格できるものではありません

 よって、あとは、各予備校講座又はテキストの内容が、自分に適しているかを判断し、その上で選択した講座又はテキストを勉強の中心におき、それらに依存するだけではなく、自分自身が判断した必要な勉強をすること及びそのカリキュラムの上に努力を重ねることが重要です。それにより、相対的に勉強の効果も上がります

 本年度の試験は先日終了し、受験された方は、自分の合格可能性の有無は既に認知しているはずです。もし、不合格であるのであれば、来年また受験するか、あるいは、受験を断念するかを決断することとなります。

 これから、初めて司法書士試験を目指す方にとっては、そもそも試験構造自体もまだよく分からないでしょうから、上記のように、自分の判断で勉強方針を定めていくことは難しいことは承知しています。まずは、どの予備校であれ、または独学であれ、基礎学力を向上させていくこととなるでしょう。しかし、試験全体についての理解も進んだ段階で、上記のように、合格する上で何をすべきかにつき自分で検討していくことはとても重要です。中級者以上の方であれば、本年度の試験に不合格だった理由を認識し、何が足りなかったのか、そしてどうすべきかにつき既に判断できるはずです。

 司法書士試験の合格率は、3~5%、つまり100人いると3~5名しか合格できないこととなります。不合格になる方の中には、初年度の私にように、そもそも基礎学力が大きく劣る方もいるでしょうが、私は、少数の合格者と多数の不合格者の差は、そこまで大きくないと感じています。

 試験に限っていえば、人間の能力など、一部の天才を除き、大した差はありません。そもそも司法書士試験を志している時点で、一定の学力はあるわけですから、結局、結果を左右するのは、勉強の方法であったり、努力の差だと私は考えています。

 これから1年間、勉強される方の多くは、いずれかの予備校を受講されることと思います。基本は、その予備校の提示するスケジュールにしたがって勉強することで十分ですが、日々の講義を聴き、予習、復習をすることだけで完結することなく、ご自身でやるべきことを理解し、それを実践することで、合格可能性が高まるはずです。特に、年明け以降は、尚更その必要性が高まります。

 これも以前のブログに記載しましたが、私の学力は、年内中はおそらく下位の上程度であったと思います。そこから、本ブログに投稿したような勉強により、トップページ画像の成績で合格に至ることができました。特に年明け以降は、より本格的にテキストを読み、別紙に書き出すなどをし、論点の理解及び記憶に努めました。こうしたこれまでブログに投稿した方法は、予備校で教えてもらえることではありません。また、必ずしも万人が行うべき絶対的な方法ではないかもしれません。しかし、私にとっては、当時、それが自分にとってベストであると考え、それを徹底的に実践したのです

 司法書士試験の勉強においては、上記のとおり、必要な勉強を自分で判断することができるかどうかが、私は、本当に、重要だと感じています。ある意味、そこが合否の分かれ目になるとも考えています。本試験が終わったばかりの今時点では、まだ本格的に来年の試験に取り掛かっている方は少ないかもしれませんが、今後の勉強方針の検討の際に、そうしたことも踏まえて、本ブログを参考にして頂ければ嬉しく思います。

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